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函館地方裁判所 昭和52年(わ)87号 判決

主文

被告人石田吉治を罰金二〇万円に、被告人宮野佳子を罰金一五万円に処する。

被告人らにおいてその罰金を完納することができないときは、金一〇〇〇円をそれぞれ一日に換算した期間その被告人を労役場に留置する。

訴訟費用は、その二分の一ずつを各被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人石田吉治は、昭和六年に東北大学医学部を卒業し、昭和一四年一〇月より、函館市本町二九番二三号において石田内科医院を開業し医師として医療業務に従事していたもの、被告人宮野佳子は、昭和四六年に函館市内の私立大谷高等学校を卒業後、右石田内科医院に事務員として勤務し、同医院において使用する医薬品類の注文、受領、保管、調剤および医療補助の業務に従事していたものであるが、

第一  被告人宮野は、昭和五一年三月九日、同医院において糖負荷検査に使用するブドー糖を函館市医師会臨床検査センターに注文し、翌一〇日同医院でこれを受領したのであるが、医薬品類の受領にあたつては、もし注文とは異なる品が届けられたことを看過すればその使用の際患者に死傷の結果を生ぜしめる危険があるから、注文医薬品類に不審な点があつた場合には、直ちに相手方に反問するなどしてその確認に万全を期すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠たり、注文を聞き違えた同センター配達員富山春巳が、ブドー糖でなくフツ化ナトリウムとエチレンジアミン四酢酸二カリウム二水塩の混合粉末(以下単に、「混合粉末」という)約5.5グラムを届けたのを受領した際、その分量が、従前自己が使用していたブドウ糖よりも著るしく少なかつたのに注文したブドー糖と同一のものかどうか右富山に反問するなどしてその確認をせず、ブドー糖が配達されたものと軽信してこれを受領した過失により、

第二  被告人石田は、自己の医院で使用する医薬品類の注文、受領は、看護婦、薬剤師の資格がない被告人宮野に任せていたので、医薬品の知識が十分にない同女が誤配を受けたり、調合時に医薬品を取り違えるなどして患者に自己が指示したものとは違う医薬品を服用させてしまう危険があつたのであるから、患者に医薬品を服用させるにあたつては、自らその調合をするか、あるいは被告人宮野が調合するときは自己の直接の指揮下で調合させるか、事後にその調合に誤まりがないかどうかを確認すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠たり、同月一七日午前一〇時ころ、前記石田医院において、伊藤定夫(当時三六年)の糖負荷検査のためブドウ糖溶液を飲用させるにあたり、自らその溶液の調合をせず、また被告人宮野が調合した際も直接その指揮をせず、調合後にその溶液の確認もしなかつた過失により

被告人宮野が、前記のとおりブドウ糖と軽信して受領、保管しておいた混合粉末を五〇CCの水に溶解して右伊藤に飲用されて同人をフツ化ナトリウム中毒に陥らせ、よつて同日午後零時四五分ころ、函館市五稜郭町三八番三号所在の五稜郭病院において、フツ化ナトリウム致死量飲用の急性中毒による呼吸および循環麻痺により死亡させたものである。

(証拠の標目)〈略〉

(被告人宮野の弁護人の主張に対する判断)

一業務性について

被告人宮野の弁護人は、同被告人は単なる事務員であつていわゆる見習看護婦でもなく、そうした被告人に刑法二一一条前段の業務者の高度の注意義務を期待することは不可能であるから、同被告人は同条の業務者に該当しないと主張している。

ところで、刑法二一一条前段が同法二一〇条と別にもうけられた趣旨は、「業務」者すなわち生命身体に危険性をもつ行為を社会生活上反復継続する者については、それを行なう際特別の慎重な態度をとることを要求するのが合理的であり、これを欠いた者に対しては違法性の評価が強度となり、それだけ重く罰せられるというところにある。したがつて、ある行為が右の業務に該当するかどうかは、当該行為者の主観的な注意能力とは関係なく、当該行為の社会生活上の反復継続性およびそのもつ危険性を基準に客観的に決められるべきものなのである。

しかして、被告人宮野が石田医院で使用する医薬品類を注文、受領する行為は、同被告人が社会生活上の地位に基づいて反復継続していたことが前掲証拠により明らかでりあ、また、判示のとおり被告人宮野が受領する医薬品類は注射、服用等により直接患者の身体に作用するもので、その誤配を看過すれば患者への誤投与等により死傷の結果を生ぜしめる危険性のある行為なのであるから、同被告人が、いわゆる見習看護婦にあたるかどうかにかかわらず、刑法二一一条前段にいう業務に該当するというべきである。

よつて、弁護人の前記主張は採用できない。

二混合粉末の量について

また同弁護人は、被告人宮野が受領した混合粉末の重量が訴因の如く5.5グラムであるとの認定には合理的疑いをいれうるから、被告人の利益に解し、その量の少なさをブドー糖でないと気づくべき根拠にすることはできないと主張している。これに対し当裁判所は、判示のとおり、受領時の重量は5.5グラムであつて、その体積が従前自己が使用していたものと明確に異なると認定し、それを予見可能性存在の根拠としているわけであるが、その理由は次のとおりである。

第四回公判調書中の証人中村昭三郎の供述部分によれば、被害者伊藤定夫のフツ化ナトリウムの血中濃度から逆算した同人のフツ化ナトリウムの服用量は約五グラムであることが認められる。また被告人宮野の当公判廷における供述によれば、富山より受領した混合粉末をビーカーの五〇CCの水に溶かしたところ全部溶解したことが認められる。ところで前記中村供述によればフツ化ナトリウムはセツ氏二五度の水五〇CCに約2.15グラムしか溶解しないのである(被告人宮野が溶かすときにビーカーを熱い湯の中につけていたとしても右溶解量が大きく変わるとは考えられない。)。

そしてこれらの事実は混合粉末を5.5グラム計量して配達したという第二回公判調査中の証人富山春巳の供述部分と概ね矛盾しない。右富山の供述は、被告人宮野からの注文内容および配達時の被告人宮野との会話の内容についてその真実性に疑問がないわけではないが、混合粉末の重さに関する部分は右のような客観的証拠とも矛盾しないので信用することができる。これに対し、事件後に当時のことを思い出してその量を再現してみたら三〇グラムないし四〇グラムあつたという被告人宮野および証人金内志保子の各供述はいずれもその根拠があいまいであり、前記の血中濃度からの逆算結果や水への溶解量とも食い違うので信用することができない。

したがつて、被告人宮野が受領した混合粉末の重量は5.5グラム(フツ化ナトリウム五グラムとエチレンジアミン四酢酸二カリウム二水塩0.5グラム)であつたと認めるのが相当である。そして、ブドウ糖の比重が1.54(日本薬局方)、フツ化ナトリウムの比重が2.78(「メルクインデツクス」九版八三六八番)であるからブドウ糖五〇グラム(被告人宮野が従前使用していた量)とフツ化ナトリウム五グラムとの体積比はおよそ一八対一であつて、フツ化ナトリウム五グラムは五〇グラムのブドウ糖の一八分の一の体積しかないのである(なお、エチレンジンアミン四酢酸二カリウム二水塩の比重は不明であるが、押収してある同試薬二五グラム入り空びんの大きさから判断して特に比重が軽いものではなく、これを0.5グラム加えても右の体積比は始んど変わらないと考えられる。)。

したがつて、混合粉末の体積は、被告人宮野が従前使用していた量よりも著るしく少なかつたというべきであり、注文医薬品類を受領した際にかかる不審な点があつた場合には同被告人としては富山に品名を反問するなどして確認すべき注意義務があつたといわなければならない。よつて弁護人のこの点の主張も理由がない。

(被告人石田の弁護士の主張に対する判断)

被告人石田の弁護人は、被告人宮野は医薬品類の注文、受領、保管および調剤を五年間続けてきた知識と経験があり、それは信頼に値するものであるから、ごく普通の薬品であるブドー糖に関する注文、受領、調合等を任せておいたとしても監督義務違反はないと主張している。しかしながら、現に被告人宮野は「ブドー糖」という名を知らされておらず、従つて注文時にも正式な名称を言うことができなかつたのであり、また同被告人が受領時に量の少なさを看過したのも、医薬品の一般的危険性に対する認識不足がその遠因をなしているのである。そのことからも明らかなとおり、看護婦、薬剤師の資格がなく医薬品等に関する基礎的知識の不十分な者にその注文、受領、調合を任せきりにすると、常に誤投与の危険があるのであるから、たとえ長年任せてやつてきたとの事情があつたとしても、医師としてはその者の行為を信頼することは許されず、判示のとおり、自ら調合するか、あるいは被告人宮野が調合するときは自己の直接の指揮下で調合させるか事後に調合液の点検をするかの義務があるといわなければならない。よつて弁護人の前記主張も採用できない。

(法令の適用)〈略〉

(量刑の理由)

本件は、被告人らの医療行為を全面的に信頼していた被害者に、致死量四グラムという劇薬を誤投与して死亡させるに至つたものであつて、その過失は医療行為の中でも最も初歩的なミスであり、また被害者が働きざかりで一家の支柱であつたことをも考えると、被告人らの責任は重いといわなければならない。しかし他面、弁護人らの主張するように、かかる劇薬を富山のような集配人が自由に持ち出しできるようにしていた検査センターや、被告人宮野が「糖負荷用のいつものお砂糖を下さい」と注文して本件混合粉末でないことを明示したにもかかわらずこれを聞き違え、さらにその配達時にも薬品名が表示されていなかつたのに十分な説明をしなかつた富山の側の落度がきわめて重大であるばかりでなく本件の発端をなしたものである(「注文時に「お砂糖」とは聞いていない。」、「配達時に「スピツツに入れるもの」と説明した。」との前記富山の供述は信用できない。)。したがつて富山の刑事責任が追求されていない状況の下で、本件結果の責任を被告人らにだけ負わせることは酷であるといわざるをえない。本件のこの特殊性のほかさらに、本件が新聞等に報道されたことによつて被告人らはすでに社会的制裁を受けていること、被害者の死に対し哀悼の意を表し、遺族との間においても相当高額の示談が成立していて被害者の妻も被告人らの処罰をあえて望んではいないこと、その他諸般の事情を総合すると所定刑中罰金刑を選択するのが相当である。〈以下、省略〉

(石井一正 石塚章夫 渡邊了造)

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